ギターの音と構造の関係 #020 「現代におけるブリッジとペグのバリエーション つなぎとしては大幅なる脱線の産物~現代Fender概論~」
- minashunta
- 2016年12月1日
- 読了時間: 8分
前回はフロイドローズトレモロユニット、ということで1980年代~90年代のサウンドを紹介しました。
ロック式トレモロ全盛期にはその他にもケーラーなどと言った、
フロイドローズトレモロの後追いをしたメーカーが数多くありました。
と言っても、僕が生まれる前のことなので人づてに聞いた話ですし、
その殆どがもう生産されていないため、特に追求はしなくて良いでしょう。
また、ラックシステムやアクティブピックアップ、デジタル黎明期の機材を活用した音作り、
及びそういった音作りが必要であったヒュージョンサウンドやハードロックも、
1990年代になると徐々に勢いを失いました。
代わりに音楽ではNirvana等のグランジオルタナブームからイメージされるような、
アナログ機材、ファズなどを使い、リフを活用したサウンドが注目されるように、なったのかなと思います。
ギター業界においてもそういう潮流が感じられます。
1965年にCBS(アメリカのラジオとかテレビとかやってるらしい、日本で言うとこのTBSみたいなもの)に売却されたFenderですが、
1969年~72年ごろまでのモデルはJimiHendrixに使用されたり、現代でも人気があります。
72年まではレオ・フェンダーも技術顧問として在籍していたようです。
しかし、1975年ごろには、Fenderのギターを支えてきた職人達は離れていったと聞きます。
(中にはアビゲイル・イバラのようにパートのおばちゃんが残った例もあるでしょうが)
と言っても元は職人の要らないギターづくりを目指した設計がレオ・フェンダーの凄さなのですが、
それにしたってネックの組み込みやフレットの仕上げといった部分は熟練を要するわけで、
そういったノウハウを失ってしまうのは非常に痛手なわけです。
現在の日本のギター工場でも、そういった人が離れたことにより品質がガタ落ちした、と言う話はいくつか聞きます。
例えばタデオゴメス、という職人のサインがネックに書かれているビンテージギターが評判がいいということで、
ビンテージ愛好家の中では有名な人間がいるのですが、彼の家族ですら、彼が昔ギターを作っていたことを知らなかった...そうな。
彼は組み込み担当だったらしいんですが、なるべくシムを挟まないで組み込みがしたい人間だったらしいです。
多分、結構こり性だったのでしょう。
CBS「適当に、シム挟んだって良いから、キミのスキルならばもっと大量に作れるだろう?」
ゴメス「うるさい。そんな仕事を俺にしろというのか。ふざけるな。」
CBS「私達の話が聴けないようなので、キミを組み込み担当から外させてもらう」
ゴメス「そうか。君たちに経営者が変わってから私達の仕事もやりづらくなったもんだ。残念だが転職させてもらおう
...近所に出来たディズニーのテーマパークの建設作業員の求人は給料が良かったな。」
CBS(ふん、FenderのギターなんてGibsonなんかに比べたら誰でも作れる設計なんだ。職人は要らないのだよ)
...なんてやり取りがあったかは知りませんが、まぁ詳しく知りたい方は、英語の文献を漁ってください。
まぁ大幅に脱線しましたが、CBSのそういった侮りがその後のFenderの低迷に繋がります。
レオ・フェンダーがFenderを離れた1972年。
時を同じく日本でFernandesが設立され、Greco、東海楽器などがStratocasterの品質の高いコピーモデルを作る時代になりました。
なにせ安い日本製のギターはアメリカ本国でも主にリッチー・ブラックモアが壊すように大量に出回ったと言われています。
同時にFenderの技術はだんだんと落ちていき。
音楽としてもハードロック、ヒュージョン全盛期。フロイドローズ等が載ったスーパーストラト系のギターが人気になり、
元祖のストラトや、ましてやテレキャスを使いたがる人間は居なくなってしまいました...。
いやいや、間違いなくストラトやテレキャスターを使っている人間は居ましたが、
当時は1950~60年代の今ではビンテージとされている物ですらまだ中古品として出回っていたわけで...
新品の、あまり音の良くないFenderを使うより、中古を買ったほうが良いな。
もしくは安い日本製でいいだろう。
なんていう時代だった、のでしょう。おそらく。
そこで、いいギターを作ろう!ではなく、
コピー製品を減らそう!と考えたFenderは、東海楽器を相手取った訴訟などを起こしますが、
なんやかんやで、決定打とはならず、神田商会を中心として1982年にFender Japanを設立し、
「わかったわかった、ライセンス生産していいからお金だけよこしな。」
なんていうことになりました。
また、FenderJapanを中心に生産していた富士弦は、1983年に世界一のギター生産量を誇るまでに至ります。
行き詰まりに行き詰ったCBSは、ヤマハUSAの経営担当者であるとこのビル・シュルツと言う人間をヘッドハンティングしたそうな。1981年のこと。
アメリカでも成功を収めていたヤマハをよく知る人間なので、日本のギター生産の技術力の高さはよく認めるところ。
工場の技術力を上げるために、Fujigenから技術者チームの派遣を要請したり、したそうです。
しかし、業績回復には至らず、CBSもいつまでも畑違いのギター会社に付き合ってられん...ということで1984年に売却を決意。
その意向を聞いたビルシュルツは自らが中心になり、Fender社を再興する事を決意したそうな。
当時の山野楽器なども出資者となり、1985年にCBSから独立、Fender Musical Instruments Corporationとして再出発を果たします。
ここからあっという間の快進撃!と思いきや、CBS社は今までのFenderの生産工場を売り払ってしまっていたため、
ギターを生産する工場すら持たない再出発。
一時期だけですが、富士弦製のOEMと、それまでの在庫を販売することでなんとか乗り切ったそうです。
コロナに新工場を建設し、時を隔てず彼が行ったのがFender Custom Shopの設立。
今でこそマスタービルダーモデル!と言った感じのお高い理由がいろいろ言い訳されt........
えーと非常に品質の高いギターが販売されているFenderですが、この頃からのものなんですね。
なにせ、もともとは職人なんてものが必要とされない設計なので、
1950年代は技術責任者と言っても、ライン生産の中の部門長のような、
あまりこう、ギター職人という感じの人間ではなかったのであろうと、おもいます。
ちなみに、1959年当時の工場の風景。もっと上手いギタリスト居なかったんかい。なBGM。
1950年代はギターの本数自体も昔は少なかったわけで、リペアマン、なんて仕事もなかったはず。
ただ、この時代は例えばロサンゼルスにShecterのカスタムショップが出来てたり、
フロイドローズを取り付けるための仕事なんてのもたくさんあったでしょうから、
ギター職人、リペアマンという職業がしっかりと成り立っていたと思います。
もちろん、バイオリン職人に始まるクラシックギタールシアーは昔から居るわけですが、
ポップ、ロックミュージックに使われるエレクトリックギターを個人レベルで製作し、
ミュージシャンのためにカスタムしていく、というような仕事がポピュラーになりつつあったのが1970~80年頃だと思われます。
そんな時代の中、技術者を育成する事を目的にFenderもCustom Shopを設立したのでしょう。
その後、Eric Claptonを始めとするミュージシャンの要望を製品に落とし込む形で、
Fenderは技術を伸ばすこと同時に、アーティストモデルを販売することで業績も大幅に改善されていきました。
同時期「1954年モデル」や「1962年モデル」といった復刻品を製作し始めたのもこの頃。
それまでただの中古品だったギターが、ビンテージとして再評価されるような流れが出来ました。
どちらが先なんだかわかりませんが恐らく、あのミュージシャンが使っているモデルが欲しい!
と言うことで言えば、ビンテージの評価が先でしょう。
日本のバブル期と重なった関係で、日本が買い漁り、値段が高騰したのもこの時期でしょうか。
まぁ、現在ではすこし落ち着いたのと、アメリカにはまだまだビンテージギターが眠ってますし、
資産価値が上がった関係で、それまでより丁重に扱われるようになったのかも、なんて思います。
また、メキシコに工場がを作ったり、そこにマスタービルダーが技術顧問で出向したり...
ということで、高いだけではなく、安いラインナップでも良い品質のものを作れるようになっていきました。
その後のFender社、というのが今我々、平成生まれの世代がイメージするFenderなのでしょう。
今回は大幅に脱線しましたが、こういった上の世代ならば当事者として当たり前にわかっている史実を、
我々の世代が俯瞰してみることも必要なのでは?と思い纏めてみました。
専門学校時代は80年あたりまでの歴史は座学でやってたのですが、
現代に繋がる部分に関してはこの記事を書くにあたり、改めて調べたため僕自身も初めて知ることが幾つかありました。
特にビル・シュルツの話に関しては、このブログがわかりやすく纏められていたため、参考にさせて頂きました。
ありがとうございます。
ビル・シュルツは残念ながら、10年前の2006年に亡くなっています。
現在のFenderのCEOはアンディームーニーという、元NIKE、ディズニーの人間。
さらにさらに、数年前立ち上げられたFenderの日本法人のCEOはラルフローレンの日本法人からのヘッドハンティング。
楽器会社として技術力を高めることと、ミュージシャンの要望に応える形で再興したFender社ですが、
上記のように、ここ数年はブランド畑の方が経営をしているのですね。
カスタムショップのマスタービルダーが独立してブランドを立ち上げる...と言った流れも見られる中で、
ここからのフェンダーがどうなりつつあるのか。
というのは僕達の目でしかと、見ていきましょう。
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